「多摩川虫は、きつくて、鳴きがいい」とか、「多摩川の虫は、ひと声ちがうよ」とか、「ひと声多いんだよ」などといわれたそうだ。「多摩川の虫」を代表するキリギリスのギッチョ捕りは、狛江などでも子どもたちのちょっとした夏場の小遣い稼ぎになっていた。
 大正の半ばに小学生の頃、ギッチョ捕りをして一匹二銭(二匹一銭とも)になったと話す人もある。この小遣いで鉛筆などを買ったものだった。多摩川に水浴びに行った帰りに、みんなで魚獲りのドウの中にギッチョを入れて帰ってくる。朝飯前に捕りに行くこともあった。
 クツワムシも捕って売った。夜、提灯(ちょうちん)をつけて、鳴いているところを探して捕まえた。この提灯の明かりを狐火かと見られたという話もあった。猪方では、ガラキンじいさんと呼ばれていたおじいさんが、虫の仲買いをしていたので、子どもたちは、そこへ虫を持っていった。どこのおじさんだか知らないけれど、大きな籠(かご)と網とを肩にかけて、河原で虫を捕っている人もいて、子どもたちが虫を捕っていると「売るか」などと言ったこともあった。世田谷の奥沢の方から来るおじさんもいた。宿河原の松坂さんから養子に行った調布の上石原の恩田さんは、多摩川虫の仲買いを副業にしていた。宿河原の土手には、夏の夕べにいい声で鳴くクサヒバリがたくさんいたという。
 恩田さんのお話によると、虫捕りは7月初めのはんげしょう半夏生(はんげしょう)の頃から秋10月までで、キリギリス、クツワムシ、マツムシなどを、ビクと呼ぶ特製の籠に入れて天秤棒(てんびんぼう)で両側に下げ、東京の問屋に運んだ。2、3日おくとけんかをして、共食いで目減りがしてしまうので、早めに運んだものだ。問屋は神田佐久間町、下谷御徒町、四谷伝馬町などにあった。夜中の12時に起きて、片道五里ほどの道のりを3日か4日おきに、例えばキリギリスは1回に3000から4000匹を、マツムシやクツワムシなどは500匹くらいを運んだものだという。