5月5日の端午の節句には、初節句を祝ってもらったお返しに、嫁の里や親戚、仲人の家などへ、柏餅やナマグサを持っていく。ナマグサは、ふつう干鱈(ひだら)が多いが、多摩川で獲れたマルタと呼ぶ体長数10センチの、コイに似た魚も用いた。
 川漁をしていた宿河原の松坂仙蔵さんのお話によると、マルタが獲れたのは、多摩川の水が澄んでいた昭和30年代の半ば頃までのことで、お節句が近づくと、駒井・猪方・岩戸・和泉など土地の人から、よく注文があったという。5月5日の1週間から10日前に、節句用のマルタを獲り、生簀(いけす)に囲っておく。贈答には、竹のマルタ籠(かご)を使った。
 マルタは、大ぶりで子ばらみのものなどは特に見栄えもよく、りっぱなので喜ばれたが、「股骨(またぼね)があり」「骨の枝が咲いたような」骨の多い魚である。ぶつ切りにして甘辛く煮つけるが、骨ごと食べられるように、番茶の煮出し汁で半日以上煮てから甘露煮にする人もあった。
 マルタの獲れる最盛期は、産卵に上ってくる4月中旬から4月いっぱいだという。多摩川の浅瀬の石などに卵を産みつける。マルタ漁は、ひと網に30本くらい入ったこともあり、明治30年頃には、狛江の地先で一日に200本ほど獲れたという話もある。マルタ漁には、メビロともマルタ網とも呼ぶ目のいちばん粗い網を使った。マルタの獲れなくなった今では、この網をコイ網といって、コイを獲るのに使う。
 マルタの獲れた頃には、小エビもよく獲れ、ゆでて醤油をかけたり、かき揚げにもして食べた。雑魚(ざこ)のヤマベやクチボソは、天ぷらや甘露煮にする。ナマズに似たゲバチは戦後まで。昭和10年代までは、マスも上ってきた。サケが上ってきたこともあった。大正の末頃までは、カジカもいた。大正時代の多摩川には、ボラやモクタガニもいたという。
 春風が吹くようになると魚がよく獲れるので、「南陽気だから魚が獲れる」と言ったものである。