□氷場
経塚(中和泉一の二二)の東側に氷場(こおりば・天然氷を作るところ)があった。南側には背の高いカシの木が枝を広げて太陽をさえぎる。五十センチの深さのコンクリートのため(水を張るところ)が二百坪ほどの広さだった。
仕事は十二月後半から寒中にかけてである。六郷用水の川底から二本のパイプを支えるやぐらが丸太で組まれ、ポンプが据えられる。男たちが二、三人ずつ向かい合ってポンプの撞木(T字形の把手(とって))を交互に押す。エンヤコラというにぎやかなかけ声である。水は樋(とい)を流れてためにみなぎる。後は寒波を待つばかり。
寒い日が何日か続くと氷は厚さを増していく。表面をたたいてみると厚さがわかる。十から十五センチほどになると、いよいよ氷切りが始まる。暗いうちから提灯(ちょうちん)をつけての作業である。氷の表面は湯に浸した布巾でふいてきれいにする。長い木の定規を使って、鋸の峰で目安の筋を付け切り出しが始まる。縦横(たてよこ)四十センチほどの氷塊が竹のたがを使って引き上げられる。青竹で作られた線路の上を氷を押して蔵(氷室)に運ぶのは女たちの仕事。蔵は土蔵造りで、経塚に接して建てられていた。「ミトンのような手作りの手袋を大鍋の湯で暖めて使ったが、それでも指先は凍るようだった」とは井上君代さんの話。
おんが(おがくず)をふんだんにまぶした氷は蔵の中で出番を待つ。目黒の氷問屋桜井に向けて氷を満載した馬力が出発するのは夜中の二時か三時。調布の氷屋さんが仕入れにくるのもたいてい夜明け前だ。欠けて出荷できない氷は近所に配られ、炎天下に働く人たちののどをうるおした。
和泉の天然氷製造は、ささやかな地場産業として明治二十年頃に始まり昭和の初期まで続いた。ためはしばらくは子どもたちの遊び場となったが今は跡形もない。