□村の中のあだな
和泉むずかし、猪方相談、駒井正月、という。各部落(旧村)の昔の気風の差がうかがわれる。家々にも、それぞれの個性がある。酒屋、豆腐屋、樽屋、桶屋、鍛冶屋、畳屋、屋根屋などの屋号は、多く幕末から明治の頃に営んでいた農間渡世(のうかんとせい・農家の兼業)の職種によっている。おもて、うら、西、南などの屋号は、本家、分家や家の位置を示していた。
家のまわりの様子から、おもしろいあだなができていることがある。覚東の元名主高木家は、キャンキャン名主と呼ばれた。「大きな杉の木やなにやらいっぱいずらっと道路の縁(ふち)に植わっていて、そこにキツネがいたんだ」そうで、大町や柴崎(共に調布市内)の人が、この家の脇を通ると、キャンキャン鳴くのでキャンキャン名主との異名を取った。
大正・昭和初年頃、一人ひとりの個性が注目されだしたのだろうか。小さな集落の当主を順番にあげて、あだなを並べることがあった。七月のクラさん、正月ヒャクさん、えべす(おえべす)のトラさん、がじセンちゃん、きゃっきゃ(なきごと)のタイさん、えんまのミノさん、よだれのサスケさん、ねこぜのヨネさん、豆がねジンノさん。七月のクラさんは、年中農繁期のように「忙しいから」で、逆に正月ヒャクさんは「ゆっくらしている」「冬になるとねんねこ半纏(ばんてん)着ちゃ、遊びにくるんですよ。うちなんか始終来てたの」。えべすのトラさんはにこにこ顔、きゃっきゃのタイさんは「田んぼででっかい声するとよく聞こえちまうですよ。昔だから」。強烈なキャラクターがあら目に見えるようである。
「ジャガ芋なんか大きいの作るべえと思ったら、畑の四隅に植えといて、うんと肥やしやれば、かかえきれないようなでっかいのが穫(と)れる」なんてね。「あんまり近く植えすぎるから、細(こま)かいのが穫れるんだ。」ほ
ら吹きロクさんは、そんなことを言うのが得意だった。
殿様、閣下などは、本人の自認する通称であった。