三島の人たちは、ウナギを食べてはいけないとされていた。
 三島は覚東の中の旧小字(こあざ)名で、以前覚東といわれた地域は、上分(かみぶん)である上覚東の本村(ほんむら)と下分(しもぶん)である下覚東の三島とに分かれていた。三島の地には明治の初めまで、三島明神、三島神社、三島さまなどと呼ばれていたお宮があり、三島の人たちがお祭りをしていたが、明治四年九月、本村の子之権現(ねのごんげん)に合祀(ごうし)されて、覚東の鎮守さまの「子之神社」となった。
 合祀以前の三島様は、今の電力中央研究所の西北側、三島田んぼのふちにあるカヤ野の一隅のちょっと小高いところに祀(まつ)られていたと伝えられている。
 昔、大水が出て、この三島様が流された。そのときに、大きなウナギが現れ、三島様はウナギの背中に乗って、どこかのふちにたどり着いて助かった。千手院の辺りに流されていったともいう。また、三島田んぼのウナギの穴に御神体が入っていて、流されずに助かったともいわれている。
 三島様は、こうしてウナギに助けられたので、氏子の人たちはウナギを食べてはいけない、とされていた。
 三島の人たちは、三島田んぼでナマズは捕っても、ウナギは逃がしてやったという。ウナギは三島様の「おつかわしめ」といわれていた。三島様がウナギの世話になったからと、一生ウナギを食べなかった年寄りもある。また、よその家で出されたときにはごちそうになっても、自分の家では食べないことにしているという人もある。この戒めもしだいにくずれ、今では、昔語りになった。
 静岡県三島市の三島大社の氏子も、かつてはウナギを食べなかったということを、当社を訪ねた高木佐七さんも聞いたという。覚東の三島様と同じく、三島大社の祭神も大山祗神(おおやまつみのかみ)である。