入園児に追われる保育行政
狛江市における初めての保育園は、町の時代の昭和42年4月に開設した和泉保育園である。
それまで保育園は低所得者対策と考えられており、町内では無認可保育室で子どもを預かっていたが、次第に働く婦人が増加し、保育園設置の要望も高まり、公で預からざるを得なくなってきた。
和泉保育園の現在の位置は52年4月に移転したもので、それまでは、市役所裏門前の、現在の東海第2マンションのところに建っていた。しかし、東海第1マンションの建設で保育園が日陰になってしまうので、マンション業者と調整して移転することとなった。
当時は、保母を募集してもなかなか応募者がなく、事務で採用した職員を配置して、その職員に保母資格を取ってもらったりもしていた。
子どもを預かるのは、午前8時30分から午後5時までで、時間外保育の制度もなかったので、毎日、親たちが交替で、5時以降園庭を使って子どもたちを保育していた。職員もみかねて、世話をしたりしていたが、親がいつまでたっても迎えに来ず、保母は子どもをおんぶしながら職員会議をやったりしていた。
43年に、2園目の藤塚保育園を開設、3園目の駒井保育園を開設した47年頃は、働く婦人の増加が著しく、以後、毎年のように保育園を開設した。
この時期は、世の中の景気もよく、求人難で、保母の確保は困難を極めた。市内に、保母の宿舎を用意して、東北や中京方面にまで鳴り物入りで求人キャラバン隊を繰り出したり、現地で採用試験を行ったりした。
これほどまでに、入園児に追われていた保育行政も、50年代の半ばからは、措置児童数が減少し、現在では、逆にその減少状況が問題となっている。
登録日: 2001年10月11日 /
更新日: 2003年12月9日