水田が公園に、西河原公園誕生
市制施行の翌年の昭和46年頃、多摩川団地は建設されていたが、西河原の一帯は住宅も少なく、梨畑と水田地帯が広がり、まだ、のどかな田園風景が残されていた。この辺りは、その昔、多摩川の河川敷だったので、少し掘ると良質の砂利を採取することができた。和泉多摩川や猪方、駒井辺りでも同様で、この辺りは既に砂利を採取されたこともある。
当時、福祉会館を建設中であったが、ある日突然、現在の西河原公園の辺りで砂利の採掘が始まり、付近の住民から採掘反対の声が上がった。同公園用地の買収の契機となった。
この頃、市では人口急増対策で学校や保育園の建設に追われ、下水道整備も進める矢先であったので、財政は大変苦しく、公園の整備は遅れていた。この少し前に、現在の狛江高校の建設に際し、同校用地は緑地の計画区域であったので、緑地指定を外すことになったが、この時に公園の整備も進めるようにと東京都からの指導があった。
福祉会館としては、南側に公園ができれば、多摩川を挟んで向ケ丘と冨士山を眺めることができるので、絶好の立地となる。また、この一帯は緑地地区でもあった。このため、砂利の採掘を始めた辺りを公園とすることとし、同用地を買収して整備するという英断を下し、その財源について都に相談した結果、余乗米対策として国から水田を減らす方針が打ち出されていたので、水田対策の特別起債を許可するということであった。
このほかにも、対応にいろいろ苦慮したが、多摩川緑地内の当公園敷地約14,000平方メートルの水田を公園とすることで、所有者と買収交渉に当たった。
関係地主は14人で、交渉は難行し、一部は46年8月に買収できたが、残りは年度末の3月の買収となった。
用地買収費の総額は6億4,000万円で、当時としては相当の金額であったが、全額起債で対応した。
翌47年に設計し、48年から3年がかりで公園の整備工事を行った。これに要した経費は、約7億1,000万円で、51年に開園した。
当公園は開園して10余年になるが、当噺直樹した樹木が時の経過を表すように成長し、季節を彩り、訪れる大勢の市民をなごませている。
46年当時も既に都市化が進んでいたが、現在では14,000平方メートルとまとまった用地はなくなり、地価も高騰している折、この公園は貴重な存在となっている。
先祖から受け継いだ貴重な土地をご提供いただいた関係土地所有者に感謝する次第である。