黄色い井戸水事件
公害関連の記事がマスコミをにぎわせていた昭和51年12月、武蔵調布保健所から市に対し、市民から黄色い井戸水の検査依頼があり、検査の結果、異状なので市の立ち会いを求めたいとの連絡があった。
当時はまだ、井戸水を多くの家庭で使っていた。異状水が景初に採取されたのは岩戸南2丁目の人家であった。近くに建築工事のための多量の赤土が野積みにされていたので、多分、これが雨水によって侵入したものであろうと楽観していた。
しかし、分析の結果は、予想に反して、有害でしかも自然状態では抽出されるここのない高濃度のクロムが検出されたとあって、担当課はがぜん殺気だった。
クロムは、通常メッキ工場で使用されるが一般には用途が限定されているため、ただちに市と東京都多摩公害事務所、武蔵調布保健所の3者で協議した結果、メッキエ場が汚染源であるとの結論に達した。しらみつぶしに該当工場の立入検査をしていく中から、井戸水の水脈の上流にあるTメッキ工場で、メッキ槽の改修の際に誤って底部に亀裂を生じさせ、濃厚なクロムメッキ液が地下浸透していたことを確認した。
ただちに操業を停止させ、メッキ槽のクロムメッキ液を汲み出し、中和措置を徹夜で続行した結果、汚染範囲の拡大を最小限にとどめることができた。
一方、井戸水の使用家庭の調査と巡回を行い、井戸の使用停止を求め、同時に、給水等の手配、新聞発表、議会報告の準備にと、めまぐるしい日々が続いた。
また、市民に対する健康診断の実施の準備などにも追われた。まさに職員はフル稼働の状態であった。
幸いにして、健康診断の結果にも異常者はなく、また汚染の度合いも次第に軽度になり、やがて元の井戸水に戻ることができた。
この事件は、発生以来経過観察も含め、2年余りの長期にわたる地道な努力が続けられ、ようやく終結を迎えるに至った。