名誉市民座談会

狛江との関わり

市長 昭和45年10月1日に狛江町から狛江市になり、今年50周年を迎えました。50周年を機に、シビックプライドとして、市民に自分のまちに愛着と誇りを持ってもらいたいと、今回お二人を名誉市民として選ばせていただきました。お二人は狛江にいつ頃からお住まいになっていますか。
木村 35歳ぐらいの時に岩戸南のアパートに住み始めたのが最初だから、今から40年以上前ですね。一度祖師ヶ谷大蔵へ引っ越して、東宝撮影所で社員として勤めていたので、その後は砧とかその周辺に住んでいました。その後、今から20年前に岩戸南のマンションに住み始めて、現在は和泉本町のマンションを購入して、そこに住んでいる。小田急線が地上を走っていた時代も知っているし、昔は田舎という印象だったね。今はマンションがたくさん建っているから、都心に通っている人たちの住宅地というイメージ。この数十年でだいぶ変わったという印象だな。
小池 私は45年間住んでいます。昭和49年の多摩川決壊が起きた年の5月に狛江に引っ越してきました。その当時の狛江の印象は田舎っぽい印象があって、長くは住みたくないと思っていました。大体「狛江」という名前が読めない人も多いし(笑)。3年以内に引っ越そうと思っていたのですが、住んでいると畑もあり万葉歌碑もあり、自然が多く残っている。また、住んでいる人たちの優しさや人情に心打たれるようになっていきました。

仕事に対するこだわりや思い

市長 お二人とも芸術家という共通点がありますが、活動を続けてこられる中で努力によって成功したこと、反対に失敗という厳しい現実に直面したこともたくさんあるかと思います。
木村 僕はよく「一生懸命」ではなく「一所懸命」という言葉を使います。つまり、すべてのことを一生懸命になんてできっこないけど、ただ一点、映画づくりに関しては本気で命を懸けて「一所懸命」の精神で当たります。あと、「徒労」という言葉も好きなんですよ。辞書を引くと「無駄な骨折り」なんて書いてあるけど、そういうものにこそ挑戦していかなければいけない。人生を振り返ってみると、無駄だと思われることを「一所懸命」やってきたからこそ、今があるんだと考えています。
市長 そういう無駄なことというのは、結局のところ無駄にはならないんですよね。最後は自分の身になっていくものだと思います。
木村 計算して上手く行くだろうと考えてやったことは、一回も上手く行った試しはないよ。映画「劔岳 点の記」は自分で企画を考えてシナリオも書いたけど、いろんな映画会社へ持って行っても、こんなものは映画にならないと言われ断られました。そこで当時、フジテレビの亀山千広さんに「死んでもやりたい」と持ち込んだら、「一緒にやりましょう」と。何かを感じてくれたんだと思います。「上手く行きます」なんてうわべだけの理屈で説明したものは、一回も通らない。徒労と思わずに10の徒労に挑戦してみたら、そのうちの1つが上手く行った。そんな人生ですよ。
小池 私は生まれつき不器用で、表現の世界では通用しないとずっと思っていました。でも、ある時、1年間で6万枚の絵手紙をかくという企画を雑誌からお願いされました。そんなばかみたいな量の絵手紙をかくなんて、とてもじゃないけどできないと思ったんですが、当時は全然売れていなくて、お金を稼ぐすべもなかったので、一種のはったりで「やります!」って引き受けて、頑張ってやり遂げました。そこで、「ヘタでいい、ヘタがいい」という考え方にたどり着きました。かくことを恐れなくなったんです。木村監督が言われた「徒労」を信じるという考え方、無駄なことの中に誰もやっていないことが隠れているというお考えにはすごく共感します。
木村 映画というのは総合芸術と言われていて、50人ぐらいのスタッフで作っていきます。思うに、映画の精神とは映画監督そのものですよ。残念だけど、何のために撮ったのかよく分からない、そんな映画の方がヒットするんです。でも特に自分が監督をやるようになってからは、その作品の主人公の精神性が見つからないと絶対にやりません。
市長 2年前に作られた最新作「散り椿」では、映像美が際立っていますが、監督が映像づくりをされる際はどういった点にこだわりますか。
木村 僕は、撮影助手時代に黒澤明さんの作品に5本つきました。黒澤明という人はやっぱり映画の天才です。芸術性や娯楽性を全部含んだ映画を何本も作っています。現場で直接教えられたっていうのではなくて、現場でずっと僕は黒澤明という人を見てきた。すごく怒られましたよ。でも、黒澤明さんだったらこういうシーンをどういうセリフにするか、どういう映像にするかというのは、自分にとっての映画づくりの原点になっている。僕も監督をやるときは芸術性、娯楽性、面白さ、そしてよく分かるかどうか。そういう映画を作りたいと常に考えています。それと映像に関しても、「散り椿」は、モントリオール世界映画祭で審査員特別賞を受賞した際に、「黒澤明を思い出した」という言葉をもらいました。外国人がそういう風に思ってくれているのは、ものすごく嬉しかったですね。
小池 それは嬉しいですね。日本人として、聞いているこちらも嬉しくなります。監督の作品は、観ていて映像が本当に美しいと感じます。
市長 小池先生は絵手紙作品に限らず、書もやられていますが、何か追求するこだわりはありますか。
小池 世界中の人たちが手書きをやめてしまって、今手書きをやっていると、時代遅れという風に思われますけど、決してそんなことはないと思います。手書きの中に、その人の持っている性格とかが出るんですね。手書きより大事なものはないと思います。私はいまだにスマホができないんです。
木村 僕もパソコンのタイピングができないので、シナリオを書くのも全部手書き。今はそんな人なかなかいなくて、みんなパソコンだけど。
小池 生きている限り、できることなら絵手紙を広げたいし、伝えたいし、時代が変わる中で新しい考え方が生まれたりしても、人と人がつながるのは手書きの良さだと思います。会わなくても、手紙が届くと会った感じがするんです。この力は絶対に古びないです。だから唯一手書きだけにこだわっています。

これからの狛江市のまちづくり

市長 お二人とも長年狛江に住んでいらっしゃいます。狛江市はこの50年で大きく発展してきましたが、これからは違う意味で成長していかなければなりません。狛江市はどのような街になってほしいですか。
木村 僕が住んでいるマンションはここ5年ぐらいで、住んでいる人の8割が変わって、小さい子どもを連れた若い家族が増えました。そういう若い人たちを見ると、頑張らなきゃって思う。世の中が変わってくるのを感じながらも、何かやろう、却下されてもくじけないでやろうと思っています。
市長 若い人がいると、そこで活力をもらって元気も出てきます。街も活性化しますし、また子どもの声が聞こえるというだけでも明るくなって良いですよね。
小池 狛江は、日本で2番目に小さな面積の市ですよね。小さいからこそ、少し時代遅れに見えるような絵手紙を取り上げてくれたんだと思います。大きな市だったらこんなことはなかったはずです。それを見逃さないで拾ってくれたのは、狛江市は小さくて、オリジナルなものを探そうとしたからだと感じています。その温かさは狛江市の特色です。それで狛江からだんだん離れられなくなって…。狛江に住んで本当に良かったなと思います。
市長 今、絵手紙は市内の小・中学校で学校教育としても取り入れられています。
小池 子どものときに手で書くということ、手紙を書くという習慣を学ぶ、これは狛江市の売りになるし、人間は生きている限り、手紙をもらったらみんな嬉しい気持ちになって、幸せな気分になります。これからもそれを広める市であってほしいと思います。
市長 絵手紙は教育面でもすごく良いですよね。市内の小学生が新型コロナウイルス感染症の影響で大変な医療従事者に「ありがとう、がんばってね」という絵手紙をかいて贈りました。絵手紙は本当に気持ちが入りますし、子どもたちもパソコンとかじゃなくて自分で字を書くことで優しさが育ちます。絵手紙は本当に喜ばれます。
木村 非常に素晴らしいことだね。僕は講演会で全国いろいろな場所に行く機会が多いけど、狛江市の絵手紙は全国で結構有名なんですよ。医療従事者に子どもたちが絵手紙を贈ったなんて、とても素晴らしい話です。今日お話をしていて、僕も久しぶりにかいてみようかなって思いましたよ。下手でも良いということなので(笑)。
小池 下手"が"良いんです!(笑)。
木村 だから、絵手紙をずっと続けてきた狛江市が、今後はもっと大きな意味で絵手紙を育て上げていくのが一番良いんじゃないかな。
小池 監督にそんなことを仰っていただけるなんて…。嬉しいなぁ。
木村 絵手紙を学校教育の一環としてやられているのであれば、もっと積極的に世の中に広める運動を進めてほしいね。僕の映画は、与えられた仕事を一所懸命やるってそういう作品なんです。「劔岳 点の記」も、利を求めたり名誉を求めたりしたんじゃない。徒労を覚悟して、自分たちの信じることをやったというお話です。絵手紙の話は、誰が聞いても賛同すると思いますよ。
市長 お話を伺っていて、お二人は世界的に活躍されていて、狛江市民や日本国民だけに留まらず、世界の皆さんの心に感動を届けていると感じます。まさに狛江市にとって名誉なことです。
小池 私は手でかく絵手紙は「育自」だと思っています。「自分」を「育てる」ということです。はがきの中に、まず自分の文章、自分の字、そして色も添える。はがきの中で3役やっているんです。自分を育てる「育自」ということにおいては、優れたものが絵手紙やはがきの中には隠されています。だからこそ、19歳から始まって60年間、私は手書き一本にこだわってやってきました。
木村 一つのことを一所懸命やると、人生持つんですよね。僕は18歳から映画をやっているから、もう63年になります。映画のことしかやってないです。
市長 お二人とも、何だかお互いに似てらっしゃいますね(笑)。市民の皆さんに知っていただくためにも、お二人の思いを伝えていかなければいけませんね。

未来を担う若い世代に向けたメッセージ

市長 最後に、子どもたちや若い人たちに向けてぜひメッセージをお願いします。
小池 手紙を書くということは、
たった一人の相手を思うことです。自分の大切な人を思って手で書くことは、一人ひとりがどこかで身に付けているので、大切なときにはぜひ書いてほしいです。日常の中で感じる心や考える力が育つので、手書きを絶やさないでほしいというのが唯一のお願いです。
木村 僕はキャメラマンや監督になろうとして映画の世界に入ったのではなくて、就職のために入りました。自分が意図しないところに勤めるようになっても、5年は頑張ってみろとよく言っています。そうすると自分に向いているのか向いてないのか、だんだん分かってくるんです。最初から思っている夢に向かって進むことより、夢なんか実現しないものなんだと心得ておく。嘘だと思ったら両親に聞いてみてほしい。お父さんやお母さんは夢が実現して今があるのか、みんな違うと思いますよ。どこかで方向が変わっているわけです。だからこそ、方向を変えることに勇気を持ってほしい。そして、夢は1つじゃなくて5つぐらい持ってほしいということを強く言いたいんです。5つぐらい夢を持って5年くらい頑張って、それで駄目だったら方向を変えてみようかって。途中で挫折したとしても、みんなそういう風に考えながら生きた方が良いんじゃないかな。
市長 狛江市は昭和の時代に人口が増えてきて、平成の時代にさらに都市化が進んだまちとなり、住宅都市として発展してきました。これからは、やさしさを持ちながら心豊かなまち、また文化・芸術そして歴史を生かしながらまちづくりを進めていくことになるかと考えています。どうぞこれからもずっと狛江にお住みいただいて、名誉市民として、狛江市民の皆さんにさまざまなことをお伝えいただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

プロフィール
木村 大作(きむらだいさく)さん
日本映画界を代表する監督・キャメラマン。昭和14年生まれ。
昭和33年に東宝撮影部にキャメラ助手として、黒澤明監督の組に配属。昭和48年にキャメラマンデビューし、「八甲田山」、「復活の日」、「火宅の人」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」など数々の作品に携わる。平成21年に初監督作品「劔岳 点の記」で、第33回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀撮影賞などを受賞。平成30年には監督3作目「散り椿」が第42回モントリオール世界映画祭にて審査員特別賞を受賞。
平成15年に紫綬褒章、平成22年に旭日小綬章を受章され、令和2年には文化功労者に選出。

プロフィール
小池 邦夫(こいけくにお)さん
日本絵手紙協会名誉会長。昭和16年生まれ。
日本における絵手紙の第一人者。昭和36年に絵手紙をかきはじめ、昭和56年に狛江郵便局が開催した日本で初めての絵手紙教室にて講師として指導され、これを発端に、狛江市で絵手紙文化が根付き始める。
平成22年の上海国際博覧会では、絵手紙が日本の文化の一つとして紹介されるなど、狛江から発信された絵手紙文化は市内・国内にとどまらず世界中で愛される文化へと発展している。

狛江市 市制施行50周年記念誌「躍動」を作成しました

 狛江の魅力を市内外に情報発信することを目的に、市制施行50周年記念誌「躍動」を作成しました。本記念誌は、記念式典の会場で来賓や来場いただいた方々に配布しましたが、市ホームページから電子書籍版をご覧いただくことができます。
 狛江が持つ魅力や狛江市50年の歩みをはじめとして、今回の「名誉市民座談会」についても紙面の都合上掲載できなかった内容を盛り込んで掲載していますので、ぜひご覧ください。
〔問い合わせ〕秘書広報室