狛江尋常高等小学校昭和15年の体育大会から

 昭和15年は日中戦争が始まって4年目。国家総動員法が発令されて3年目。第一代神武天皇が金の(とび)に導かれて橿原(かしはら)の宮で即位してから2,600年目ということもあって国をあげての祭事が行われた年でもある。
 その年に行われた狛江尋常高等小学校秋季体育大会のプログラムを見ると、題字には「奉祝皇紀二千六百年秋季体育大会順序昭和十五年十月十三日(日)」とあって、開会式には「宮城遥拝(ようはい)」と「黙祷(もくとう)」がある。
 種目の上では「蹴球競争」「継走」などの用語が入る。今ならフットボール競争とか、リレーという言葉を使うのだろうが、この年3月に内務省から「敵国用語を使わないように」という指示(外国語の排除)が出されていたのである。
 内容から見ても「新兵さんの日曜日 尋一」、「木剣体操 尋六男」など戦時に即したものが並んでいる。さらに「新体制体操 尋四・五男」、「救護班 尋三・四女」、「奉祝二千六百年 五・六・高女」と続く。
 この頃は高等科と青年学校が一緒に体育大会を行っていた関係で、高等科からは「薙刀(なぎなた)(練習) 高女」、青年学校からは「武装競争 青男」、「小隊戦闘教練 青男」、全体では「二千六百年奉祝大行進」が行われ、まさに臨戦態勢である。昭和16年には太平洋戦争が始まった。
 外国語排除は体育大会だけではない。籠球(ろうきゅう)(バスケットボール)、排球(はいきゅう)(バレーボール)、などの運動用語を生み出し、昭和18年からは野球をする時でもストライクを「よし」、ボールを「一つ、二つ」、セーフは「よし」、アウトは「引け」などの用語が使われるようになった。
 村の雑貨屋の店頭でもビールを麦酒、マッチを燐寸(マッチ)、ゴールデンバット(たばこの銘柄)を改名した金鵄(きんし)などと書かれた商品が並んでいた。昭和15年には、ディックミネ、ミスワカナ、ミスコロンビアなど芸能人の名前さえ改名を命じられている。
 昭和17年7月にも、文部省が高等女学校(旧制)の英語を随意科目とし週3時間以内にすると通牒(つうちょう)を出したり、昭和18年には高等女学校の英語は授業停止。戦況の悪くなった昭和19年度には労働力確保のため、中学校(旧制)と高等女学校を4年制にして一年早く卒業させ労働力の確保を行っている。
 このようにして生活の上からも、言葉の上からもじわりじわりと戦時色を強め「撃ちてし止まむ」の精神を築いていった。
 平和な社会を築くためには、お互いに相手の国の文化を知り、尊重することが大切である。
 昭和20年5月25日は狛江国民学校が戦災を受けた日である。戦後75年、平和のありがたさをかみしめ、世界平和を祈念しよう。


 井上 孝
(狛江市文化財専門委員)