特集
昭和49年
多摩川堤防決壊を振り返る
~多摩川堤防決壊から50年の節目を迎えました~

 昭和49年台風16号による激しい降雨の影響により、多摩川の堤防は決壊し、家屋19棟を失うなど狛江市に大きな傷跡を残しました。今年はこの災害から50年の節目の年にあたり、改めて当時の状況を振り返るとともに、いま一度防災に関する意識を持っていただくよう特集号としました。


50年前の多摩川堤防決壊に思う

 古くから「あばれ川」とも呼ばれていた多摩川は、しばしば流域に大きな被害をもたらしてきました。
 昭和49年9月10日に臨時発行された広報こまえ水害特集号は「64年ぶりという狛江市猪方の水害は、19棟を流失、倒壊させ、5日間の苦闘の末、やっと復旧のめどをつけました」という文章で始まっています。
 昭和49年、私はこの年に入庁し環境衛生課に配属されていました。災害対策の任務として第二中学校の避難所運営にあたり、知人の安否の問い合わせやお見舞品の受け付け、多摩川の状況確認の伝令などに携わりました。
 50年の間にも、台風の影響で氾濫の危険な状況になった年もあり、近年では令和元年東日本台風で狛江市を含む流域で内水氾濫などの被害がありました。
 多摩川は、これまでの先人により水害対策がなされ、昔と比べてはるかに安全な河川となっています。しかし、近年の水害は激甚化・頻発化しているともいわれ、いざという時の備えを怠ってはいけません。
 多摩川堤防決壊から50年の節目の年に、市としても過去の災害から学び、未来につなげる事業を推進しています。子育て世代を対象とした防災ショーや総合水防訓練を実施し、自助・共助・公助、それぞれの役割の重要性を改めて認識をしていただく機会を設けています。
 古くから受け継がれてきた歴史や、文化、人々の生活とのつながりがある多摩川は、散歩やランニング、スポーツ・レクリエーション、学習など、多くの市民の憩いの場です。
 自然豊かで災害に強い安心できるまちづくりを目指してまいります。

狛江市長 松原俊雄

 


昭和49年の多摩川堤防決壊の記録

9月1日、台風16号に伴う記録的豪雨

 昭和49年8月31日、中心気圧960hPa、中心付近の最大風速40mの大型台風16号の接近に伴い、発達した雨雲が関東地方に停滞し、激しい降雨に見舞われました。
 多摩川上流を記録的な豪雨が断続的に襲い、多摩川は増水を続けていました。最上流にある小河内ダムでも、貯水限界量をはるかに超え、最高時で毎秒700tと通常の35倍の放水を行いました。
 当時、関東大震災から51年目の9月1日「防災の日」に、狛江市では防災訓練を行う予定でしたが、それを水防活動に切り替え、増え続ける多摩川の状況把握に努めました。この予定されていた訓練が実戦になろうとは誰も予想だにしていませんでした。

河川敷にある遊具の撤去作業が行われた

増水する多摩川を見守る市民

9月1日夜、ついに多摩川堤防が決壊

 9月1日、多摩川の水位は警戒水位を超え、堤防の上端近くまで達しており、多くの市民がこの様子を見に集まっていました。狛江市と川崎市の間にある二ヶ領宿河原堰が洪水の流れを阻害し、せき止められた河川が左岸河川敷の小堤防を破壊しました。これによって大きな迂回流が生じ、本堤防を洗掘していきました。
 市は災害対策本部を設置して近隣住民に避難命令を発令し、付近の小・中学校等に避難所を開設しました。また、自衛隊派遣を依頼しました。
 市、消防団、消防署といった関係機関が協力しながら、懸命の水防活動を行い、洗掘を防止するように努めましたが、洗掘は止まらず、夜には本堤防がえぐり取られて決壊し、濁流が住宅地に流れ込んでいきました。

避難所となった狛江第二中学校

現地の市水害対策本部(9月3日)

濁流にのみ込まれる遊具

9月2日未明、濁流に流される家屋

 基礎下の地面を削り流され、2日未明には家屋が倒壊、その後2軒、3軒と濁流にのみ込まれ、最終的には19棟が流失することとなりました。その模様はテレビで中継されており、全国の人々が見守る中、被災状況がテレビ画面に映し出されました。水害の恐ろしさが新聞・テレビ等の報道を通じて全国に伝わっていきました。

倒壊した家屋の横で行われた水防活動

家財道具を運び出す人々

9月2日午後2時37分、堰堤の爆破開始

 市の災害対策本部は、洗掘が進んでいく状況を考慮し、さらなる被害拡大を食い止めるため堰堤の爆破を要請しました。現地における関係機関協議では、濁流の方向を変えるための堰堤の破壊について幾度となく協議を重ねた結果、本流の流れを遮っている堰堤を爆破することになりました。
 爆破地点より半径1㎞以内の住民に避難命令が出され、ヘリコプターで届けられた火薬を用いて、9月2日午後2時37分に1回目の爆破が行われました。爆破によって狛江市と川崎市を合わせて約400世帯の窓ガラス等が破損しました。
 その後も本流の流れを大きく変えるため自衛隊と建設省(現・国土交通省)により合計10回以上の爆破が行われました。

自衛隊による最初の爆破

爆破によって崩された堰堤

9月6日正午、水防活動を終了

 爆破により、堰堤の破壊口から水が流れ始め、民地への水流が弱まりました。その間に大型クレーン車やブルドーザーを用いてテトラポッド、蛇籠、玉石を投入し、小堤防の締め切り工事が完了しました。
 9月6日正午、避難命令の解除をもって水防活動は終了しました。
 引き続き本堤防の復旧工事を行い、9月14日に本堤防の応急復旧はおおむね完了となりました。

小堤防の締め切り工事

蛇籠張り作業

重機を用いた復旧工事


※掲載写真は狛江市の「多摩川堤防決壊記録」等から引用し、一部の写真はカラー処理しています。

災害と恵み~多摩川との共存~

 昭和49年の多摩川堤防決壊では、幸いにも人的被害はありませんでしたが、約260mに及ぶ堤防の決壊、家屋流失19棟、約30世帯で宅地や家財の流失などの被害が発生し、歴史に残る大水害となりました。
 一方、平穏な時の多摩川は、その青空まで広がる広大な空間と美しい自然のもとに、市民が日常的に憩い、安らぎ、心身をリフレッシュできる場となっています。
 この「災害」と「豊かな恵み」という二面性を持つ多摩川と共存するため、平成10年、従来の堰より40m下流に新しい堰が築造されました。近年においても、狛江市と関係機関等が連携し、これまで多くの防災・減災対策を行っています。

 


「50年目の伝言」-多摩川水害-

受け継ぐバトン 教訓後世に

 「50年前、この辺りにあった遊具が傾いて、濁流に消えていきました」
 梅雨明け前の7月7日。狛江市の多摩川河川敷にある「多摩川決壊の碑」の周りに集まった約20人に、元市職員の山口昭二さん(74)が多摩川水害の体験を語り始めた。
 山口さんは企画広報課広報係だった1974年9月、多摩川水害に遭遇した。あれから半世紀。自分の経験を伝え、市民に水害を記憶にとどめてほしい─。山口さんの熱い思いを知った市が、多摩川を舞台に環境学習などの活動をしている「狛江水辺の楽校」に呼びかけ、講話が実現した。
 この日は、オイカワの産卵床づくりなどに加わった小中学生らも、碑の前に集合。山口さんの話に耳を傾けた。
 碑は国と市が設置。99年3月、改築された二ケ領宿河原堰の竣工式に合わせて除幕された。三角錐のステンレス製で、碑文には「水害の恐ろしさを後世に伝える」と記されている。
 水害が起きた9月1日は「防災の日」。台風による天候不順で防災訓練が中止になり、山口さんは増水している多摩川の写真を撮ろうと、自転車で「五本松」付近の堤防から下流に向かった。
 「川幅いっぱいに茶色の濁流が音をたてて押し寄せ、水しぶきが飛んでくるような感じでした」
 小堤防が崩れ、河川敷の遊具が濁流にのまれる様子を撮影した連続写真は、国の調査技術委員会報告書に生かされた。
 2日からは、水害対策本部長の市長に張り付き、小堤防の仮締め切り工事や洗掘防止活動、電気、ガス、電話の復旧作業などを写真に記録した。
 3日までに19棟の家屋が流失。「家が川に浮く光景を初めて見ました」と振り返る。自衛隊による堰の爆破作業時は木造の旧市役所庁舎にいた。「窓ガラスがビリビリと震え、経験したことのないすごい音がしました」
 恐怖も体験した。堤防から作業現場の状況を見ていた時に、足元のコンクリートの階段が崩れて濁流に消えた。「ぞっとして足がすくみました」
 20分の講話を山口さんはこう締めくくった。「災害はいつやってくるかわからない。気をつけて多摩川で遊んでください」。話を聴いた狛江第六小学校3年の五十嵐健さん(9)は「家も簡単に流されちゃうんだ。水は役に立つけど怖いと思った」と感想を寄せた。
 碑は傷みも目立ち、9月1日までに2代目がお目見えする。50年目の節目にバトンを受け継ぎ、堤防が決壊した水害を忘れないで、と訴え続ける。

 佐藤清孝(元新聞記者)

 「50年目の伝言」は今回で終了。次回から「狛江水辺の楽校」をめぐる連載が始まります。

山口昭二さん

 都市の災害対策は強固ですが、万全ではありません。いつ、何があってもおかしくないのです。日頃から避難場所の確認や避難経路、災害の状況によってはいくつかの避難方法も検討しておくことが大切です。避難所での最小限の食糧や生活必需品、非常持ち出し袋の中身の見直しとともに、避難のイメージトレーニングも役に立ちます。50年前に多摩川で水害があったことを頭の片隅に置いてください。

 


多摩川堤防決壊から50年を迎えて~写真展~

 昭和49年に発生した多摩川堤防決壊から今年で50年を迎えるにあたり、災害の記憶を風化させず、後世に伝えていくために、写真展を開催します。
 災害に備えるためには、過去の教訓から学ぶことも重要です。
 当時の状況を振り返りながら、自助・共助の大切さについて考えてみませんか。

日程・会場

下表の通り

問い合わせ

安心安全課防災防犯係

展示期間・会場

展示期間 会場
9月2日(月曜日)~6日(金曜日) 市役所2階ロビー
9月9日(月曜日)~16日(祝日) 野川地域センター
9月17日(火曜日)~23日(休日) 南部地域センター
9月24日(火曜日)~29日(日曜日) 岩戸地域センター
9月30日(月曜日)~10月6日(日曜日) 上和泉地域センター

 


水害の体験を語り継ぐ

 家屋が流されるというショッキングなシーンは、後のテレビドラマ「岸辺のアルバム」でも実写映像が使用されるなど、記憶に残る大水害となりました。
 5月1日号から連載してきた「50年目の伝言」のほかにも、語り部として当時の体験を紹介した「【狛江の語り部2020】1974年多摩川水害から学ぶわたしたちの防災」など、動画で視聴することができますのでご覧ください。

問い合わせ

秘書広報室広報広聴担当

 


市の水害対策の取り組み
~六郷・猪方排水樋管の遠隔操作化~

 狛江市では、令和元年東日本台風の被害を踏まえた水害対策の一環として、六郷・猪方排水樋管の遠隔操作化工事を行いました。
 台風等により多摩川が増水した場合、河川水が住宅地側に逆流することを防ぐため、排水樋管のゲートを閉める必要があります。一方で、住宅地側の雨水を排水するためには、ゲートを開ける必要があります。強風や不測の事態が発生し、職員が樋管操作室に近づけないケースに備えるため、排水樋管の操作を市役所本庁舎から行えるように排水樋管の遠隔操作化工事を行いました。さらに、令和元年東日本台風と同程度の降雨でも浸水被害を発生させないようポンプ施設を設置する検討を進めています。
 また、排水樋管には水位計・監視カメラを設置しており、状況をリアルタイムにスマホで確認することができます。

樋管水位情報

問い合わせ

下水道課施設管理係

 


デジタルを活用して災害に備えよう

知って安心!
複数の情報入手方法を持っておこう

 災害が起きたとき、状況によっては想定していた情報入手方法がとれないことがあります。そのためにも、事前に情報入手方法を複数揃えておくことが重要です。
※災害時はフェイクニュースやデマ情報がSNS上にあふれます。発信元の確認や複数の情報源を確認するなど、正しい情報かどうか注意しましょう。

狛江市公式ホームページ

 市ホームページに防災情報をアップします。

狛江市公式SNSアカウント

 LINE・Facebook・X(旧Twitter)
 市ホームページから各SNSの登録ができます。

防災行政無線

 聞き取れなかった場合は、こちらの番号で確認できます。
電話0800(800)0504(通話料無料、24時間受付)

こまえ安心安全情報メール

 避難所の開設状況などの災害に関する情報や防犯情報を受信できる登録制のメールです。

こまえ安心安全情報メール

テレビのデータ放送

 リモコンのdボタンを押して、避難情報などを確認できます。

Yahoo!防災速報(アプリ)

 地震や豪雨などの気象情報の他、狛江市の緊急情報を入手できます。

Yahoo!防災速報(アプリ)

緊急速報メール・エリアメール

 市内のドコモ・au・ソフトバンク・楽天の携帯・スマホの方に対し、災害情報などが一斉配信されます。

コマラジ(85.7MHz)

 狛江のコミュニティFMです。災害発生時に避難情報や緊急情報を入手できます。レディモ(アプリ)をインストールすることでスマホでもラジオを聞くことができます。

レディモ(AppStore)

レディモ(GooglePlay)

問い合わせ

安心安全課防災防犯係

 


狛江市LINEの新機能!
デジタル避難訓練に参加しよう

 災害が起きたときに備え、事前に避難するまでの想定をしておくことが大切です。
 今回、狛江市公式LINEアカウントの新たな機能として、「デジタル避難訓練」を登載しました。
 災害発生時に必要な防災情報や、多摩川・野川の水位状況などの狛江市域に特化した情報をスマホ上で確認することができます。

参加方法

狛江市公式LINEアカウント宛てに「デジタル避難訓練」とメッセージを送ると、LINE上でいつでも行うことができます。
ぜひお試しください。

 

問い合わせ

秘書広報室広報広聴担当