環境月間が始まった頃

 昭和47年(1972年)6月5日、スウェーデンのストックホルムで国連人間環境会議が開かれ「人間環境計画」を作成したのを記念してその日を「世界環境デー」とし、それから1週間を環境週間とした。狛江市でも翌年(昭和48年)から環境週間を設けて地球環境問題の大切さを考える期間としている。
 狛江を含む多摩地域のほぼ全域では、まだ下水道が使われていなかった。家庭や事業所で使った水は吸い込み井戸で地中に染み込ませるか、簡易浄化槽で浄化した後で近くの水路に流していたから多摩川や野川の汚れはひどく、昭和46年11月には多摩水道橋でBOD(生物化学的酸素要求量)4.5を記録し、コイやフナなど汚染に強い魚でも限界に近い数値になっていた。
 また、自動車が増えたこともあって大気汚染も激しく、昭和47年5月には市役所前交差点で一酸化炭素濃度最高17.5PPMを記録している。だから排気ガス対策にも力を入れていたし、多摩地域では昭和46年11月から毎月第3日曜日をノーカーデーとして一酸化炭素を減らすとともに車のない生活を考えさせる日にしていた。また小学生の安全を図るため昭和47年4月には狛江第六小学校周辺にスクールゾーンを設置して、朝と午後の通学時間には警察署発行の許可証を持った地域の住民以外は通行できないようにした。
 市役所に公害測定室が出来たのも昭和47年4月で、24時間連続して大気中の一酸化炭素と亜硫酸ガスの濃度が測定できるようになった。
 石神井南中学校の生徒が光化学スモッグのため311人が被害を受け27人が入院したのも昭和47年で、同年狛江市でも光化学警報発令と書いた札を8カ所に掲出し、20回の光化学スモック警報が発令され、28件の被害届が出ている。
 騒音の苦情も多かった。発生源は自動車が特に多く、夏には家庭のテレビやクーラーの音なども出されていた。
 自然界では北米原産のアメリカシロヒトリが青葉を食い荒らす問題があって、集団行動をする幼虫のうちに枝を切り落として踏みつぶすか、枝ごと焼き切るように注意を(うなが)している。
 岩戸の田んぼでカドミウム汚染が見つかったのは昭和45年と46年でその後急速に田んぼがなくなった。
 昭和47年7月にはノーごみ運動実施要項が出来て、「買い物は過剰包装しない」を合言葉に、生産者、販売者、消費者に紙やプラスチックなどごみの減量を図るように指示している。
 そういう中で昭和48年6月5日に第1回環境週間が行われ(平成19年に環境月間になる)公害パトロール、自動車の排気ガス検査、児童・生徒を対象に公害の話や映画を行っている。


 井上 孝
(狛江市文化財専門委員)