昭和初期 実りの秋の忙しさ

 二百十日が近づくと稲穂が出て花が咲き始める。やがて稲穂が色づき始めて垂れ下がる頃から田の水を抜き、実の熟するのを待つ。
 10月中旬には稲刈りが始まる。家族総出で稲を刈り、水のない田んぼに敷き並べたり、田んぼに立てた稲掛けに掛けて約1週間天日干しをする。
 干した稲は脱穀だ。太平洋戦争後はモーターを使うようになったが、それまでは千歯こきや足踏み脱穀機が活躍していた。その後、もみすりをしてもみと玄米を分け、扇風機や箕を使ってわらくずなどを取り除いて、玄米だけを俵に入れて貯蔵した。
 稲刈りが終わると麦まきの準備だ。くわを使って固くなった田の土を掘り返し、残っている稲の根を砕いて土を軟らかくする。そして畝を付ければ後は11月中旬の種まきを待つばかりだ。
 この時期は、薩摩芋、人参、葱、牛蒡、大根、大豆、小松菜、蕪、柿や栗なども収穫期を迎える。収穫したばかりの野菜は湧水や用水で洗って泥を落とし、小松菜、ホウレンソウなど葉菜類は夕食後薄暗い電灯の下で束ねて出荷の準備をする。翌日は暗いうちに起き、荷車を引いて神田、淀橋など区内の市場に運んだ。
 秋の夜長はむしろ、わらじ、こも、俵、縄などわらを材料にした夜なべもした。皆農家で必要なものばかりだ。
 晩秋蚕を飼っている家では取り入れの時期である。蚕は寒さに弱いので、霜が降りそうなら蚕室の隙間に目張りをして寒気を防いだり、蚕室にいろりを掘って炭火をおこしたりした。桑の葉も毎日採りに行かなければならない。雨が降りそうなら多く採って貯蔵しておいた。
 鶏や豚を飼っている家では、その世話もしなければいけない。
 いくら忙しくても肥引きにも行かなければいけない。長年くませてもらっている家の便所(し尿溜)がいっぱいになる頃を見計らってリヤカーや牛車を引いて青山や四谷の方までもくみに行く。こちらがどんなに忙しくしても「出すのを待ってくれ」とは言えない。あれやこれやと秋は忙しい。
 しかし実りの秋はうれしい。だから祭礼は盛大に行って喜びを分かちあった。その頃、子之権現三島神社の祭礼は9月19日、伊豆美神社は9月20日、日枝神社は10月2日、岩戸八幡神社は10月4日、白幡菅原神社は10月13日、小足立八幡神社は10月15日で五穀豊穣、家内安全と繁栄を祈願した。そこで子ども達も、祭礼の日には各神社ごとに学校から早く帰ることができてお祭りを楽しんだという話をよく聞く。
 11月23日の新嘗祭(現勤労感謝の日)にも秋の豊作を祝ってどこの神社でも盛大にお祭りをした。

 井上 孝
(狛江市文化財専門委員)