新春座談会

令和8年1月1日号広報こまえの新春企画では、尺八奏者で人間国宝の善養寺惠介さんと能楽師の中村昌弘さんと松原市長との座談会の内容を掲載しています。
広報こまえでは紙面の都合で掲載しきれなかった写真も掲載しています。ぜひこちらもお楽しみください。

左)尺八演奏家(人間国宝)
善養寺 惠介さん

中央)狛江市長
松原 俊雄

右)能楽師
中村 昌弘さん

ご挨拶

【市長】
 あけましておめでとうございます。毎年恒例の新春企画ということで、今回は重要無形文化財保持者のお二人をお招きし、お話を伺っていきます。尺八演奏家の善養寺惠介さん、能楽師の中村昌弘さんのお二人です。本日はよろしくお願いいたします。
【善養寺・中村】
 よろしくお願いします。

重要無形文化財について

【市長】
 まず、善養寺さんは昨年、尺八の分野で重要無形文化財の各個認定者、いわゆる人間国宝に認定されたとのことで、大変おめでとうございます。
【善養寺】
 ありがとうございます。
【市長】
 重要無形文化財保持者になられてどのようなお気持ちでしょうか。
【善養寺】
 まだ全然実感がないです。
【市長】
 ご本人以上に周りの方が気にするのでしょうね。
【善養寺】
 確かにそうかもしれないですね。でも次につなげていかないといけないという責任や意識がより強くなりました。
【市長】
 中村さんは重要無形文化財の保持者団体の日本能楽会の構成員として活動されていますが、いかがでしょうか。
【中村】
 まずは自分がしっかりしたものを舞台でやって、後輩たちにも伝えていかないといけないと感じています。

狛江市との関わり

【市長】
 狛江市との関わりを聞いていきたいのですが、まずは善養寺さんからお願いします。
【善養寺】
 僕は小学校1年生の頃から28歳まで狛江在住でした。結婚してから市外に引っ越しましたが、今でも市内で稽古をしていますし、しょっちゅう狛江に帰ってきています。
【市長】
 子どもの頃と今の狛江を比較するとどうですか。
【善養寺】
 昔は畑ばかりでしたが、今は本当に変わりましたね。今はもうないですが、東京航空計器という会社の工場の目の前に住んでいたんです。この工場は、もともとは軍需産業だったので、僕にとっては戦中派の父の記憶と重なり合っているという感覚でしたね。
【市長】
 そうですか。今の狛江のまちの雰囲気はいかがですか。
【善養寺】
 今は小さな子どもを連れている若いファミリーが多くいて、おじいさんやおばあさんもまちなかや公園を歩いていたり、本当に穏やかで明るいまちになったなというのが僕の印象です。
【市長】
 最近では狛江駅前もリニューアルをして随分変わりました。
【善養寺】
 狛江に帰ってくるたびに駅前の街並みが変わって、お店も増えてきていて、便利なまちになったという感じがします。
【市長】
 中村さんは市内在住ですが、いつから狛江市に住まれているのでしょうか。
【中村】
 実家が世田谷ですけれど、2~3歳ぐらいの頃に一時期、狛江ハイタウンに住んでいました。その当時、狛江で毎年花火をやっていましたので、その花火のイメージがありました。結婚を機に30歳の時に市内に引っ越してきてから、ずっと住んでいます。住み始めてから、地域の活動にも参加させていただいています。

尺八を始めたきっかけ

【市長】
 善養寺さんが尺八を始めたのはいつ頃ですか。
【善養寺】
 小学校に上がる前の6歳の頃に始めました。父の本職はとび職人でしたけれど、尺八が好きというよりも自分の信仰のような感じで、思想の真ん中に尺八があるという人間だったので、教育的な意味合いで尺八をやることになりましたね。
【市長】
 お父様にまず教わって、それからどこかの教室にも行かれていたのでしょうか。
【善養寺】
 小さいうちはもっぱら父からだけでした。中学生からは師匠を渡り歩いてきましたね。
【市長】
 尺八を自分の職にしてやっていこうと思ったのはいつ頃からですか。
【善養寺】
 自分の意思で決めたのは、高校を卒業して大学に入ったときですかね。うちの父は、音楽家の尺八奏者として育てたわけじゃないと言っていました。要は現代の虚無僧になれと言われていたんです。18歳で高校を卒業して1年間は父のとび職の仕事を手伝いながら生計を立てつつ、虚無僧になる予定でしたが、19歳から父の命令に逆らって大学受験のための勉強をし始めて、20歳のときに東京芸術大学に入学して音楽としての尺八の道に入りました。

能を始めたきっかけ

【市長】
 中村さんが能を始めたのはいつ頃ですか。
【中村】
 僕が2歳11カ月の頃ですね。ぼんやりとした記憶しかないですけれど。母が趣味で習っていて、小さい子どもを留守番させておくわけにいかないので、一緒に連れて行かれて始めたというのがきっかけです。
【市長】
 お母様と一緒のところで習っていたんですね。
【中村】
 はい、そうです。それに僕は小児ぜんそくを持っていて、少し運動すると発作が起きてしまっていたのですが、能の稽古ではそうしたことがなく、やっていれば周りの大人に褒められるということもあって続きました。
【市長】
 本格的に能をやろうと思ったのはいつ頃ですか。
【中村】
 20歳を過ぎた頃ですかね。能の稽古はずっと続けていて、いずれは能の世界へ、という思いがあったのですが、つぶしが効くようにという安易なイメージで大学の法学部に入学しました。大学1年生や2年生の頃は法職講座という、いわゆる司法試験対策講座を受講していました。でも、どう考えても合わない気がすると思うようになり、20歳の段階でこれまでの人生を振り返って、自分が好きでやり続けてきたものは能だから、これが仕事にならないか、と思うようになりました。
【市長】
 なるほど。お母様はさぞかしお喜びになったでしょう。
【中村】
 父からは「お前は好きなことをやっていい」とは言われていたんです。でも、能をやるきっかけになった母の方が大反対でした(笑)。何のために法学部に入れたのだと。まあ、最終的には折れてくれました。
【市長】
 お二人とも小さい頃から稽古を重ねてきて、20歳の頃に将来の道をご自身の意思で決められたということですね。

子どもたちの反応について

【市長】
 お二人が子どもの頃、周りの友だちからはどのように見られていたのでしょうか。
【中村】
 同級生が私の能の発表会を見に来たときがあったのですが、みんな寝ていました(笑)。私もやりたい、という人はいなかったですね。
【善養寺】
 私は小さい頃から70歳くらいのおじいさんたちと、尺八の話をしているので、雰囲気がじいさまみたいな感じでした(笑)。その調子で同級生と喋るものだから、変なやつだったと思います。たぶん宇宙人を見るような感じで見られていたと思いますよ。
【中村】
 僕の小さい頃も不思議なものを見るというか、能って何だろうという見られ方だったと思います。
【善養寺】
 僕の偏見かもしれないですけれど、僕の同世代には和の文化にはちょっと近寄りたくないというような空気があったような気がしますね。いつの頃からか、それがなくなったんですよ。子どもたちは異文化みたいな感じで偏見なく尺八を聴くものだから、良い反応が返ってくるようになりました。
【中村】
 私も「音楽の街-狛江」の事業で幼稚園や保育園で公演をさせていただいたのですが、子どもたちはまっさらの気持ちで、初めて見たときのことを割と鮮烈に覚えていてくれています。子どもたちの前で能を披露するときは、能を見てちょっとでも楽しかったなと思ってもらえるようにしています。それが今後につながってくれればいいなと思っています。
【市長】
 私もおはやしをやっているのですが、動きがないと子どもたちにはあまり反応が良くないんですよ。獅子舞とか、ひょっとこやおかめとかの踊りが入ると、興味が湧いてくるんですよね。あと能ではお面が印象深いと思うのですが、子どもたちはどのような反応がありますか。
【中村】
 子どもたちの反応は面白いですよ。小面という若い女性の面を見て「今朝食べた納豆のマークだ」とか、般若のお面を見て「お母さんが怒ったときの顔みたいだ」とか、子どもたちは素直に反応してくれます。

籠や能面のこと

【市長】
 籠をかぶって尺八を吹くことには、どういった意味があるのでしょうか。

【善養寺】
 尺八は江戸時代中期からあるのですが、その頃から修行として虚無僧がありました。しかし、その伝統は一度絶えています。現代になってそれを復元し、芸術音楽化した形で、今に伝えています。
【市長】
 尺八は単独で演奏することが基本だと思いますが、禅ともつながりがあるのでしょうか。
【善養寺】
 元のルーツはそうなります。僕のジャンルは「虚無僧尺八」といって、基本的には聴衆を前提としないで、一人で吹いて、座禅と同じように無我の境地に入っていくというのが本来の形です。単独で演奏していることから、「吹禅」という言い方をするんです。不思議な感覚なんですけど、籠をかぶると外界と隔絶されて、一つの宇宙になるという感覚です。
【市長】
 そういった感覚になるんですね。能面をかけて舞台に出るときはどういう気持ちになるのですか。
【中村】
 能面をかける前に必ず面に礼をして、敬意を持って能面をかけるんです。そして、精神を統一してから舞台に出ます。能は神聖な場所の舞台に立ち、神様に捧げるという意味合いもありますので、畏敬の念を込めて捧げるという感覚がありますね。
【善養寺】
 僕らもまず先に尺八に一礼して精神を統一しています。いわばスピリチュアルの世界に入るための儀式という意味合いもあります。
【市長】
 私がやっているおはやしも神様に見ていただくわけだから、奉納というんですよね。だからお面をかぶるという側面もあります。伝統芸能というのはいずれも神事に通じているのかもしれませんね。

伝統文化や芸術を極めた先に

【市長】
 伝統文化や芸術を極めているお二人ですが、その中でも自分がやりきったなと思うときはどんなときですか。
【善養寺】
 自分がなくなっていくという感覚にどれだけ近づいたかということでないでしょうか。自然や空気と一体になって、一つの世界に凝縮していくという感覚ですね。
【中村】
 私もまだ数少ないですけれどもあります。能面の狭い視野の中でお客さんの動きが気になってしまうときというのは、大体良いことがない。ただ、無我夢中でもだめだと思うんです。
【善養寺】
 そうですね。舞台というのはやっぱり面白いですよ。観客席も舞台もバックステージも演者も、わっと一体感を醸し出す瞬間があったときには、そこに神が降りてくるような感じがありますね。
【市長】
 おはやしもそうなのですが、場の雰囲気や周囲との「間」が合うことも大切な要素ですよね。また、伝統文化や芸術を極めるということはどういう感覚なのでしょうか。
【善養寺】
 技術をただひたすら磨き続ける中で、ある時突然神がかるというか、別次元のところに、ぱんっと飛躍して、そのときに見えたものとか感じたもの、それが芸術と呼ばれるものではないかと思うんです。その道の修行に徹底した人が、一瞬、花を咲かすような感覚ですね。でも、そのための方法論は誰も持っていない。だからひたすら稽古し続けるしかない。伝統文化や芸術を極めるということはそういうことじゃないかなと思います。
【中村】
 世阿弥(ぜあみ)の言葉で「まことの花」という格言があります。若い頃はそれだけで華やかな花で、その花が枯れていっても、それでもなお美しく花が咲いて見えるものがまことの花だと言われるんですが、そういったものを目指せということなんですね。一つずつステップになる曲を踏んでいって、技術を積み、さらに稽古をひたすら重ねて、もう体が動かない、声もだんだん出てこないという中でなんとかあらがって、その上でできるものが最高のものである。そのために我々は稽古の道がある、そう思って日々頑張っています。
【善養寺】
 伝統文化や芸術はここで完成というところがないから、完成しないものを突き詰めていくと、その先に見えてくるものがあるのだろうと思います。
【市長】
 伝統文化や芸術を極めた人ならではの深いお話ですね。
【善養寺】
 松原市長が伝統芸能の実演家でいらっしゃるから、どうしてもコアな話になってしまって、こちらも火がついて熱くなってしまいました(笑)。
【中村】
 確かにそうですね(笑)。

若い人たちへのメッセージ

【市長】
 最後に若い人たちにメッセージをいただけますか。
【善養寺】
 子どもたちや若い人には、世界中の人類のために貢献しうる、誇れる財産が日本にあるということを分かってほしいです。 卑屈にならないでほしいですね。世界中のどこに出て行っても、堂々と誇れるものを僕らは持っているんだということを分かってほしいですし、そういう意味合いで日本の自然や芸能にも接してほしいです。
【市長】
 中村さんはいかがでしょうか。
【中村】
 子どもたちには、日本文化を高尚なもの、自分には敷居の高いものという意識になってしまわないように、小さい頃から触れたり体験できる機会をつくっていければいいなと思います。その経験があれば、大人になってから海外に出たときに胸を張って日本のことをお話できるようになると思います。狛江のまちで日本文化に触れられるような環境を一緒に作っていけたらいいなと思っています。
【市長】
 ありがとうございます。今回の新春企画は、お正月にふさわしいお二人に来ていただきました。狛江市の基本構想には「ともに創る 文化育むまち ~水と緑の狛江~」という目標が掲げられています。この言葉にぴったりと合うようなお話をたくさんお聞かせいただきました。お二人の想いは将来を担う子どもたちにきっと届いたのではないかと思います。今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。
【善養寺・中村】
 お招きいただきまして、ありがとうございました。

プロフィール

  • 善養寺 惠介(ぜんようじ けいすけ)さん

尺八演奏家。令和7年に重要無形文化財の保持者(各個認定、いわゆる「人間国宝」)に認定される。
狛江第五小学校、狛江第一中学校、都立狛江高等学校出身。
東京芸術大学卒業後、同大学非常勤講師を務める一方、NHKラジオや舞台などで古典尺八の演奏を行う。
国内のみならず、海外での演奏を積極的に行う。

  • 中村 昌弘(なかむら まさひろ)さん

シテ方金春流(してかたこんぱるりゅう)能楽師(狛江能楽普及会代表)。
重要無形文化財の総合認定保持者「一般社団法人日本能楽会」の構成員として令和5年に追加認定される。
毎年、全国各地での単独公演を行うほか、海外の公演にも出演している。
文化庁伝統文化親子教室「狛江能楽教室」にて、未就学児から高校生まで指導を行うほか、狛江能楽普及会代表としてむいから民家園などで普及活動を行う。

重要無形文化財とは

国は、演劇、音楽、工芸技術等の無形の文化的所産で、歴史上または芸術上価値の高いものを「無形文化財」と定義し、そのうち重要なものを「重要無形文化財」に指定している。
個人を個別に認定する「各個認定」、保持者の団体の構成員を総合的に認定する「総合認定」、構成員となっている団体を認定する「保持団体認定」の3種類がある。

お年玉プレゼント

善養寺惠介さんのCD「霧海箎(むかいぢ)」と中村昌弘さんのサイン入り2026年カレンダーをセットにして5名の方にプレゼントします。
ご希望の方は、はがきに「お年玉プレゼント希望」・住所・氏名・年齢・電話番号・座談会の感想を記入の上、お申し込みください。
下記専用フォームからもお申し込みできます。応募者多数の場合は抽選とし、当選者の発表は賞品の発送をもって代えさせていただきます。

  • 「霧海箎(むかいぢ)」のCDジャケット

    ※善養寺さんのCDは市内の泉州尺八工房(岩戸北1-7-15。尺八の販売および修理やメンテナンスを手掛ける工房)でも販売しています。
  • 中村昌弘さんのサイン入り2026年カレンダー

【申込み・問い合わせ】1月14日(水曜日)までに、秘書広報室広報広聴担当へ。
専用フォームはこちら