今年も元気で体育施設の充実

  昭和20年代は自然が豊かだったので子どもも若者も多摩川で泳いだり、農作業の合間に水浴びをして汗を流していた。しかし平和の訪れを喜び合い結成された青年団や文化会が盆踊りや夜の映画会をするなど、大勢が集まる場所や地域の企業の従業員などが野球をする場所は狛江小学校の校庭しかなかった。
 昭和30年代になると多摩川が汚れ水泳ができなくなったので、昭和36年に町内初めてのプールが狛江中学校に設置され、翌年以後狛江第三小学校、狛江第二小学校と順次造られていった。また、昭和41年からは金づちのお母さんや働き盛りの若者にも泳ぐ場を提供しようと夏休みの日曜日、学校交代で「水泳を楽しむ会」を無料で開き、昭和59年に市民プールができるまで続けていた。
 町内初の体育館が狛江中学校にできたのは昭和40年である。それまでは北風強く吹く日でも、バレーボールやバドミントン、体操さえ校庭にマットを敷いて行っていた。その後狛江第二中学校にも建てられた。それ以後市制が施行された昭和45年に建設計画が立てられて小学校にも順次建てられていった。
 多摩川河川敷の使用は昭和39年に行われた東京オリンピックの後、都民の体力向上を目的に使う場合だけ許可することになったので、狛江町では昭和42~46年に児童遊園、テニスコート4面、野球場2面を小田急線鉄橋の下流に建設したが、昭和49年の水害で流されて、その後野球場2面しか復旧されなかった。
 上和泉体育館は上和泉地区に公共下水道が使用できるようになった昭和49年に、不用になった狛江団地の汚水処理場跡地に体育館を建ててほしいという市民の要望で地域センターの中に建てられた。
 市民グランドは、昭和45年に狛江第一中学校が第二グランドとして使用している所に福祉会館を建てようという計画があったとき「市内にはグランドは一つしかない。若者のためにグランドとして残そう」という反対意見が出てグランドとして残した土地である。今は老若男女により休みなく使われている。
 昭和61年に完成した市民総合体育館は各種スポーツの公式戦もできれば市民グループの貸し切りも、個人でさまざまな運動に参加できるようにと卓球、バドミントンなど種目別の練習日を決めて実技指導者を置いたり、トレーニング室を設けて楽しみと健康増進に貢献している。
 その他、市民テニスコート、小足立児童グランド、西和泉体育館とグランド等、市民が利用できる体育施設は多い。今年は東京オリンピックの年である。体育施設を大いに利用して楽しみながら健康増進に役立てよう。狛江市はどこに行くにもサイクリングで通える町でもある。

 井上 孝
 (狛江市文化財専門委員)