「え」コース ルート
 「え」コース 地図
玉泉寺(狛江市東和泉3-10-23)

市内の古刹の一つで、北条氏政の祈願所だったといわれています。多摩川沿いに所在していましたが、たびたび洪水の被害に遭って、現在地に移転したといわれます。境内の帝釈堂には、おしゃもじ様がまつられています。百日咳に霊験あらたかといわれ、かつては風邪の治癒等を祈願するために、お参りする人が多く見られました。また、山門の右手には、市天然記念物に指定されているボダイジュが見られます。

多摩川
 

全長138キロメートル、流域面積1,240平方キロメートルの多摩川は、一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、野草や野鳥が数多く見られます。四季折々の自然豊かな光景が広がり、市民の憩いの場所となっています。自由ひろばには昭和49年の多摩川水害の記憶を今に伝える多摩川決壊の碑(猪方四丁目)が建立されています。

日枝神社(狛江市駒井町1-6-11)
 

日枝神社はもともと山王権現と称し、江戸時代の記録によると、木の鳥居が立つ小さな祠でした。円住院は、影向山毘沙門寺と号す天台宗の寺院で、山王権現の別当寺でした。もとは毘沙門堂だったようで、元和二年(1616)に喜多見氏が再興したという記録があり、毘沙門堂が円住院になったものと考えられます。日枝神社の参道は、イチョウやケヤキの木に囲まれ、円住院の入口には庚申塔がまつられています。

岩戸八幡神社(狛江市岩戸南2-8-2)
 

戦国時代のこととして、岩戸八幡神社の由緒に係る次のような伝承があります。永禄元年(1558)に、北条氏康の招きに応じ、古河公方の足利義氏が鎌倉の鶴岡八幡宮に参拝した際、神前にて八幡神体を懸賞にした大相撲が催されました。吉良頼康に従っていた岩戸の秋元仁左衛門という人物は、この大相撲に勝ち、岩戸に八幡神像を持ち帰って八幡神社を勧請したといいます。江戸時代は村の鎮守で、別当寺は西に隣接する明静院でした。

 岩戸川せせらぎ(狛江市岩戸南2-23付近)
 

岩戸緑地公園にある人工の小川で、平成4年に岩戸川の面影を伝えるため造られました。流れに沿った遊歩道が設けられており、木を植えたり、橋やベンチなどを設けて、街のオアシスとして親しまれています。