狛江は大都市江戸の近郊で、多摩川もあり、風光明媚な場所を求めて文人墨客が訪れました。また、狛江から江戸へ出て、都市文化の影響を受けて帰村する人物もいました。こうした人々の往来により、都市文化の受容がなされていたと考えられます。
 例えば、和泉村の小町雄八(おまちゆうはち)は、村を離れて江戸に出て、儒学者亀田鵬斎(かめだほうさい)のもとに身を寄せ、学問にいそしみました。その後、彦根藩井伊家に儒学者として仕え、自著『自修編』を献上して褒美を賜わりました。

小町雄八著『自修編』